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妄想劇場

妄想劇場・下座に生きる

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 Author : 神渡良平   http://kamiwatari.jp/?p=319
「下座に生きる」18歳の孤児

京都・山科に一燈園という修養団体がある。
宗教法人ではなく、人間としての生き方を学ぶ
修養団体で、大正10年(1921)
西田天香さんが家々を回り、便所掃除をし、
うかつに生きていることをお詫びして
生活されたことから始まった集まりである。

天香さんの生き方は、当時京都大学、その他の
学生だった倉田百三、安倍能成、佐古純一郎、
山田無文、和辻哲郎などに影響を与え、
昭和の精神史を形作ったといえる。

その天香さんに三上和志さんという高弟がいた。  
ある日、三上さんはある病院に招かれて講話に行った。
ホールには患者さんや看護婦さん、検査技師、
医療事務員などが詰めかけて話を聞いた。

ベッドを離れられない患者はスピーカーを通して聞いた。
涙を誘う話となった。  
1時間ほど話して院長室に戻ると、
院長がいたく感動して、お願いがあるという。
何ですかと聞くと、院長は切りだした。

「実は私の病院に少年院から預かっている
18歳になる結核患者がいます。
容態は悪く、あと10日も持つかという状態です。
この少年に三上先生の話を聞かせてやりたいのです。

ただ問題なのは、両親も身寄りもなく、
非常にひねくれていて、三上先生の話を
素直に聞いてくれるかどうかはわかりません。

重体で病室からは1歩も出られないので、
こちらから出向くしかないのですが、
今日のような話をたとえ20分でも30分でも
聞かせてやりたいのです。

少しでも素直な気持ちになってくれれば・・・・」  
そう聞いて、三上さんは躊躇した。
「ちょっと話をしたぐらいで素直になるでしょうか。
そうは思えませんが」

「確かにそういう懸念はありますが、
仮に素直にならないでも、もともとです」  
そう言われると、断わることもできない。
話をしてみることになった。

では仕度をと言って、院長は大きなマスクと
白い上着を渡した。
「付けなければいけませんか?」
三上さんは躊躇した。  

ひねくれてしまっている少年の心を動かそうと
するものが、白い上着を着てマスク越しに
恐る恐る話をしても通じまい。  

「もしも伝染したらいけませんから。
開放性の伝染病ですから・・・・」 そう言われて、
三上さんは意を決した。

「伝染すると決まっているわけではありませんから、
付けないことにします。
その少年の気持ちを思うと・・・このままの方が
よいと思いますので・・・・」

院長に案内されて行ったところは病院の
一番奥にある隔離病棟で、五つある個室のうち
彼の部屋だけ使われていた。

院長に続いて中に入ると、六畳ほどの広さの部屋に
白木のベッドが一つ、
コンクリート剥き出しの寒々とした床の上に
新聞紙を敷いて、尿器、便器が置いてあり、
入り口には消毒液を満たした洗面器が置かれている。

げっそり痩せて頬骨が尖り、
不精髭を生やした少年の顔は黄色く淀んでおり、
目のまわりが黒ずんでいる。
黄疸を併発しているのだろうか。

「気分はどうかね」院長が話しかけたが、
少年は顔をそむけたまま返事しない。
「少しは食べているかい?」それでも少年は答えない。
うるさそうにしている。

「眠れるかね?」  
顔をそむけたまま答えようとしない少年の
向こう側に回って、三上さんが顔をのぞいて見ると、
憎憎しげな様子だ。

少年が答えないのをみて、院長は構わず言った。
「こちらにいらっしゃるのは三上先生というて
立派な方だ。私らは向こうでお話を伺って非常に
感動した。

お前にも聞かせてやりたいと思い、一人のために
というのはすまないと思ったけれども
無理にお願いして、来てもらった。
体がきついかもしれないが、
辛抱して聞きなさい。わかったか」

「・・・・・」少年は黙ったままだ。
「三上先生、どうぞ」と言われ、
三上さんは少年の仲間の言葉で話かけた。

「おいどうでぇ!」ところが、
うんともすんとも言わない。三上さんは怒鳴った。
「折角見舞いに来たんじゃねえか。
何とか言えよ!」

ところが、その声が終わるか終わらないかのうちに、
「うるせえ!」という言葉が返ってきた。
こんなに痩せた体のどこから出るかと思われるような
大きな声だった。

院長が小声で「こりゃ、駄目ですな」と言い、
「退散するしかないようです」と付け加えた。  
「そうですね」と三上さんも諦め、
部屋を出がけに「おい!帰るぜ」と怒鳴った。

そして引き手に手を掛け、もう一度振り返って見た。
すると、意外だった。少年が燃えるような目で、
こちらをじっと見つめていたのだ。

その目にどうしょうもない孤独の影が見えた。
人恋しいのに、その恋しい人が来れば、
本心とは裏腹に顔をそむけてしまう。  
それでいて、その人が去れば、後を追いかけたくなる。

素直な気持ちを表現できないのだ。
三上さんが向き直ると、少年は慌てて顔をそむけた。
三上さんはベッドのところまで引き返した。
顔を隠そうとする少年の顔を、伸び上がって
後ろから覗いてみると、涙が頬を伝っていた。
寂しい姿だった。

それを見た途端、三上さんは心を決めた。
今晩はここに泊まって、一晩なりとも看病しようと。
急いで廊下に出て、その旨を院長に言うと、
院長は語気強く言った。

「それはいけません。
開放性の結核ですからうつります」
「でも、わが子ならそうするでしょう。
お願いします」
「とは言っても・・・・しかし・・・」  

迷う院長に三上さんは再度言った。
「うつるかどうか、わかりません。
明日はどうなろうとも、今日一日は
真でありたいと私は思います。

今日一日真であれば、明日死んでも満足です」
そう言いおわると、三上さんは病室に戻った。
院長は追って来なかった。

短い坊主頭に、禅僧が作業するときに着る
作務衣に似た木綿の筒袖を着た三上さんは、
お世辞にも美男子ではない。
じゃがいものようにごつごつした丸顔に、
少年はすっかり心を許したようだった。  

「せっかく来たんだ。足でもさすろうか」と
三上さんが立ち上がると、
少年はいらんことをするなと気色ばんだ。

その病室には椅子がなかったので、
三上さんはコンクリートの床にじかに座っていたのだ。  
「まあ、そういうな。好きなようにさせてもらうぞ」

足元に回り、毛布をめくると、
腐敗したような甘酸っぱい臭いがムッと鼻をついた。
枯れ木のような細い足で、骨の形が見えるようだ。
関節はふくれあがり、肌はさめ肌のようにかさかさで、
窪んだところには黒く垢が溜まっている。

さすがの三上さんもたじろいだ。
この足をさするのかと思うと躊躇した。
そんな気持ちを乗り越えてさすっていると、
少年が語りかけて来た。

「おっさんの手は柔らかいなあ」
「何言っとるんじゃ。
男の手が柔らかいはずがあるかい」  
「うんにゃ、柔らかいぞ。お袋の手のようだ」

恐らく、人の肌に触れたことも
触れられたこともないのだろう。
生まれて初めて人に触られて、
少年の心は溶けた。
うれしい。こんなうれしいことはない。
人を身近に感じてたまらないのだ。

人間不信の壁

「おっさん、あのなー」
「なんじゃ、卯一」少年は卯一と言った。
「笑っちゃいかんぞ」「笑うもんか。
早く言え、もったいぶるな」

「やっぱ、やめとこ。おっさん、笑うからなあ」
「まあ、言いたくなければ言うな。

ところで、卯一、夕食はどうした?」
「もうすぐ賄いのおばさんが持って来てくれるよ」
「だったら、わしが取りに行ってくるよ。
手が空いているからな」

「おっさん、ついでに やかんもらって来てくれ。
よく飲み込めないものだから、
お茶を飲まんと吐いてしまうんだ」

「よっしゃ」と炊事場に行くと、
小さなお盆が渡された。
鍋に入った粥、しなびた梅干し二個、
小さく刻んだ沢庵が少々。・・・

余りにも少ない食事に驚いて、
「えっ、これだけですか。お汁はないんですか?」
と聞くと、前はスープも出していたが、
少しでも脂気があると吐いてしまうので、
いまは出していないという。

「そうですか・・・」
納得できないままに食事を運ぶと、
それでも卯一は待っていた。  
「おっさん、一人では食べられん。
そこについている匙でお粥をすくって、
口に入れてくれ。
でもたくさんだとむせてしまうから、
ちょっとずつだよ」

三上さんは言われた通り、口に粥を運んでやった。
それでも三回、四回、匙で食べたら、
もういらんと言った。
「吐きそうだ。はやくお茶をくれ!」  

「何だ、これっぽっちか。
もっと食べんと元気にならんぞ」
「もうええわい。どっちみちおれは死ぬんだ。
どうでもええ」

「しょうがないなあ。でも、ここに置いておくから、
後で食べたくなったら、そう言え」と
三上さんはお盆を床に置いた。
ごほごほむせていた卯一は、咳が止むと聞いた。

「おっさん、夕食はどうするんだ」
「自分の体も動かさんもんが、人の心配するな」
「でも、お腹がすくだろう」
「すいても、ないもんは食べられんだろう」と
三上さんがつっぱねるように言うと、
卯一が大きな声をあげた。

「おっさん、おれの残りがあったろうが !」
馬鹿言え ! それはそうだが、伝染病者の
残り物を食べたら、それこそ病気がうつって
しまうぞと喉まで出かかった、が、かろうじて、
それは言えなかった。・・・

「箸もないのに食えるか」と言って逃れると、
「おれの匙があるぞ」と畳み込むように言った。

じっと見詰めている。
どう行動するか、見極めようとしているかのようだ。
お前さんの親切心がどこまでのものか
見せてくれと言っているようだ。

三上さんは困ってしまった。
結核患者の匙で残り物を食べたら、
これは本当に伝染する。
粥はすでに生ぬるくなっており、
菌が繁殖するには結構な暖かさだ。

「お前、本当にいらんのか」
「もう食べられん、早く食べろ !」
そこまで言われたら、覚悟を決めた。
「よし、じゃあ、もらうぞ」合掌して食べた。

味はまるでわからなかった。
かまずに飲み込んだ。
それでも匙も三杯目となると、
落ち着いて来て、味もわかるようになり、
最後はお茶を注いで飲み干した。

「おーっ。食べたな」卯一はうなった。・・・
「おれのやったものを食べた奴はなかった。
おっさんが二人目だ」
これには三上さんが驚いた。・・・

夜通しの看病

「おい、こっちを向けよ。
今日は一晩看病させてもらうからな」
すると少年は「チェッ、もの好きな奴やな」と
言いながらも、顔を向けた。

「ところで、お前の両親はどうした?」
「そんなもん、知るけ」  
嫌なことを聞くなと拒絶するような雰囲気だ。

「知るけって言ったって、親父やお袋が無くて
赤ん坊が生まれるかい」
少年は激しく咳き込んで、血を吐いた。

「おれはなぁ、うどん屋のおなごに生まれた
父無し子だ。親父はお袋のところに遊びに来ていた
大工だそうだ。お袋が妊娠したって聞いた途端、
来なくなったってよ」

お袋はおれを産み落とすとそのまま死んじまった」
「そうか」
「うどん屋じゃ困ってしまい、
人に預けて育てたんだとよ。
そしておれが七つのときに呼び戻して出前をさせた。

学校には行かせてくれたが、
学校じゃいじめられてばかりいて、ろくなことはなかった。
店の主人からいつも殴られていた。

ちょっと早めに学校に行くと、
朝の仕事を怠けたと言っては殴られ、
ちょっと遅れて帰ると、遊んで来たなと言って殴られた。
食べるものも、客の食べ残ししか与えられなかった。
だから14のときに飛びだしたんだ」

「何をして暮らしてきたんだい」
「神社の賽銭泥棒だ。だがな、近頃はしけてて
あんまりお賽銭は上がっていない。
そいで、新興宗教のお賽銭箱を狙ったんだ。

でも、直にばれてしまい警察に捕まり、
少年院に送られたが、肺病にかかって、
ここに入れられたんだ」

「そうか。いろんなことがあったんだな」

十四歳の時に、家を飛び出して、そして、神社の
賽銭泥棒になった。 卯一は何かを思い出すように、
遠くを見た・・・。 

「昔、おれが神社の床下で寝起きしていたころだ。
朝起きてみると、境内の大きな栴檀の木の下で
泣いている九つぐらいの女の子がいた。
おい、どうしたと近寄っていってもその子は
逃げないんだ。

ぼろぼろの着物を着たおれの姿を見たら、
大抵の子は恐ろしがって逃げるのにな。
『昨晩、おっかさんに叱られて、家を放り出されたの』
朝御飯は食べたのかと聞くと、
昨夜も食べていないという。

『ちぇっ、おれよりしけてやんの』と言いながら、
縁の下に潜り込んで、とっておいたパンを差し出した。
『これでも、食いな !』

するとその子は目をまん丸くして、
『えっ、兄ちゃんくれるの』と言いやがった。
おれのことを兄ちゃんって言ったんだ。
あの馬鹿たれめが。

『やるから早く食いな』って言うと、むさぼるように食った。
それでおれは おれの分も差し出して、
『これもやるから食いな』って言うと、それ食ったら
兄ちゃんの分がなくなるというんだ。

あの馬鹿たれが。いいから食えというとおいしそうに
食った。 『食べ終わったら、早う家に帰れよ』
と言ったが、その子は帰らんという。

帰らなかったら、おれみたいになっちまうぞと言っても、
『おっかさん、大嫌い。もう家には帰らん!』と言う。
脅かしたら帰るだろうと思って、帰らんと殴るぞ
と拳を振り上げると、家の方に逃げた。

追っ掛けると、その子は二つ目の横丁を曲がって、
豆腐屋に駆け込んでいった。

『お前、昨晩はどこに行ってたんだ。心配したぞ』
家の人がそういうのが聞こえてくる。
『ざまあ見ろ。帰りやがった。よかった、よかった』
おれはそう思って神社に帰ってきた。

でもなあ、でもなあ・・・」そこまで話すと、卯一は
涙声になった。「どうした、泣いたりして」
「おれはなあ、またもとの独りぼっちになって
しまったんだ」・・・

卯一はわあわあ泣いた。あの枯れ切った体の
どこから出るかと思うほどに泣きじゃくった。

「そうだったのか。そんなことがあったのか。
ごめんよ。思い出させちまって」
卯一は泣き止むと、意を決したように三上さんを
見据えて言った。

「おっさん。笑っちゃいかんぞ」
「何じゃ。笑いはせんぞ。言っちまいな」
「あのなー、一度でいいから、お父っつぁんと
呼んでいいかい」

三上さんは思わず卯一の顔を見た。
この機会を逃すまいと真剣そのものだ。
「ああ、いいよ。わしでよかったら、返事するぞ」
「じゃあ、言うぞ」「いちいち断わるな」

しかし、卯一はお父っつぁんと言いかけて、
激しく咳き込んだ。
身をよじって苦しんで血痰を吐いた。

三上さんは背中をさすって、介抱しながら、
「咳がひどいから止めておけ。
興奮しちゃあ体によくないよ」と言うのだが、
卯一は何とか言おうとする。

すると続けざまに咳をして、死ぬほどに苦しがる。
「なあ卯一。今日は止めておけ。体に悪いよ」
三上さんは泣いた。それほどまでして、こいつは
お父っつぁんと言いたいのか。・・・

悲しい星の下に生まれたんだなあと思うと、
後から後から涙が頬を伝わった。

苦しい息の下からとぎれとぎれに、とうとう
卯一が言った。「お父っつぁん!」
「おう、ここにいるぞ」
卯一の閉じた瞼から涙がこぼれた。
どれほどこの言葉を言いたかったことか。

卯一はもう一度言った。「お父っつぁん」
「卯一、何だ。お父っつぁんはここにいるぞ」  
もう駄目だった。大声を上げて卯一は泣いた。
十八年間、この言葉を言いたかったのだ。

わあわあ泣く卯一を、毛布の上から撫でて
さすりながら、三上さんも何度も鼻を拭った。

明け方、とろとろと卯一は寝入った。
三上さんは安らかな卯一の寝顔に満足し、
一睡もせず足をさすり続けた。

「おっさん、昨日、病院の人たちに
話をしたというてたなあ」
白み始めた早朝の薄暗がりの中で、
いつの間に目覚めたのか、卯一が言った。

「ああ」
「おれにも何か話してくれ」
「聞くかい」「うん、聞かせてくれ」  
「今朝は高校へ話にいかにゃならんので、
長い話はできんが・・・・。

卯一、お前は何のために、生まれて来たか
知っとるか」
「何じゃ、そんなことか。
男と女がいちゃいちゃしたら、子どもができらあ」  
「そんなんじゃなくて、生まれてきた意味だよ」

「そんなこと、わかるけ。腹がへったら、
飯を食うだけさ」
「飯を食うためだけじゃ、寂しかないか。
それだけじゃないぞ、人生は」 「・・・・・」
「誰かの役に立って、ありがとうと言われたら、
うれしいと思うだろう。あれだよ、あれ。

お前が昨夜から何も食べていないという女の子に、
パンをやったとき、その子はお兄ちゃん、ありがとう
と言っておいしそうに食べたろ。

それを見て、お前もうれしかったろ。誰かの
お役に立てたとき、人はうれしいんだ。
お前、いままで誰かの役に立ったかい」
この質問は酷だった。・・・

何かを考えているようだった
卯一は投げ出すように言った。「おれは駄目だ」
「どうしてだ」
「おれはもうじき死ぬんだよ。命がないんだ。

人の役に立ってって言ったって、いまさら何が
できるんだ」泣顔だ。  
「できる、できる。まだまだできるぞ」
「起き上がることもできないおれに何ができるというんだ」

「なあ、卯一。お前、ここの院長先生やみんなに
良くしてもらって死んでいける。
だから、みんなに感謝して死んでいくんだ。
憎まれ口をきくのではなく、邪魔にならないよう
死んでいくんだ。それがせめてもの恩返しだ」

「おっさん、わかったぞ。
これまでおれは気にいらないことがあると、
『院長の馬鹿野郎、殺せ!』って怒鳴っていた。
これからは止める。言わないことにするよ」

「そうか。できるかい。努力するんだよ」
「そのかわり、おっさんもおれの頼みを聞いてくれ」
「約束しよう。何だ、言ってみな」

「おっさん、いま高等学校に行くと言ったな。
中学校や小学校にも行くのか ?」
「行くよ」
「そうしたら、子どもたちに言ってくれ。
親は子どもに小言を言うだろうが、
反抗するなって。
おれって男が しみじみそう言ってたって」  

「反抗したらいけないのか」
怪訝なことを言うと思って聞き返してみると、
卯一はこう言った。  
「いやな、小言を言ってくれる人があるってのは
うれしいことだよ。

おれみたいに、言ってくれる人が誰も
いないってのは寂しいもんだ。
それに対して文句を言うってのは贅沢だよ」

「なるほど、そういうことか。わかった。
わしは命が続くかぎり、お前が言ったことを
言ってまわろう。お前も上手に死んでいけよ」
「それじゃ、これで帰るぞ」
「もう行くのか?」
「行かなきゃならん。高校で話をすることになっている」

「おっさん!」
「何だ」
「いや、何でもない」
「何でもなかったら呼ぶな」
「返事するのが悪いんだ。呼んだって返事するな」
「そんなわけにはいかんがな」
三上さんが立ち去ろうとすると、また卯一は呼んだ。  

「おっさん!」
「返事せんぞ。
もう行かにゃならんのだ」 そう言って、後ろ手に
ドアを閉めると、部屋の中から、
「おっさーん、おっさーん」と泣きじゃくる
声が聞こえた。

母を呼ぶ子どもの声のように、 「おっさーん、
おっさーん」といつまでもいつまでも聞こえていた。
卯一は、 三上さんが去ってから、その後を追うように、
号泣したのです。寂しかったんでしょうね。

毛布の下の合掌 

三上さんが院長室に帰ると、そこに院長先生がいた。
昨晩は家に帰らず、院長室のソファに寝たようだ。
「あなたがあの部屋で看病していらっしゃると思うと、
帰ることができなかったのです。

夜中に二度ほど様子を覗きに行きましたが、
夜通し足をさすっていらっしゃった。
頭が下がります」「いえいえ」と言っている時に、
院長室のドアが慌ただしくノックされた。

どうぞという院長の声に息せききって入って来たのは、
若い医師だった。「ちょっと報告が・・・・」という声に、
院長は座を立って、事務机の方で若い医師の
報告を聞いた。そして聞くなり、叫んだ。

「三上先生 ! 津田卯一がたった今
息を引き取りました」
「えっ!」  三上さんは茫然とした。
「でも、昨日は十日は持つとおっしゃっていたのに・・」
当直の若い医師が真面目な顔で切り出した。

「不思議なことがあったのです。
あいつはみんなの嫌われ者で、
何か気にいらないことがあると、
『殺せ ! 殺せ ! 』とわめきたてていました。

なのに、一晩で まるで変わっていました」  
「というと」と三上さんは聞き返した。
「今朝、私が診察に入って行くと、
いつになくニコッと笑うのです。

おっ、今朝は機嫌がよさそうだなと言い、
消毒液を入れ換えて、
いざ診察にかかろうとすると、妙に静かです。
卯一 ! 津田 ! と呼んでみましたが、
反応はありません。

死んでいたのです。
私が入って来たときと同じように、うっすらと 
微笑さえ浮かべていました。私はあわれに思って、
『お前ほどかわいそうな境遇に育った者は
いないよ』と言いつつ、
はだけていた毛布を直そうとしたのです。

ところが・・・・」 若い医師は信じられないものを
見たかのように、深く息を吸い込んだ。
三上さんもつられて大きく息を吸い込んだ。

「毛布の下で合掌していたんです !
あいつが、ですよ・・信じられない・・
・・合掌していたんです」  
涙声に変わっている。院長もうつむいている。
三上さんもくしゃくしゃな顔になった。

「・・・・卯一、でかしたぞ。よくやった。
合掌して死んでいったなんて・・・・
お前、すごいなあ・・・・すごいぞ」  
あたかもそこにいる卯一に語りかけているようだ。

「な、わしも約束は忘れんぞ。命のあるかぎり、
講演先でお前のことを語り、死ぬ前日まで
親御さんは大事にしろよと言ってたと言うぞ」
そこまで言うと、三上さんは泣き崩れた。

肩を震わせて泣く三上さんのかたわらで、
院長も若い医師も泣いた。
「卯一よお、聞いているかあ・・・・・。なあ、
お前の親のことを恨むなよ・・・。

少なくとも母さんは自分の命と引き換えに
お前を生んでくれたんだ。それを思うたら、
母さんには感謝しても感謝しきれんがな・・・・」

三上さんはしゃくり上げながら、
虚空に向かって話している。  
「それになあ、
お前に辛く当たった大人たちのことも
許してやってくれ・・・・。

わしもお詫びするさかいなあ・・・・。
みんな弱いんだ。同情こそすれ、
責めたらあかんぞお・・・」  
三上さんの涙声に、院長の泣き声が大きくなった。

誰も人を責めることはできないのだ。  
責めるどころか、お詫びしなければいけないのだ。
いさかい合い、いがみ合う そんな世の中を
作ってしまっていることに対し、こちらから先に
詫びなければいけないのだ。

そうするとき、和み合い、睦み合う世の中が
生まれてくるのだ。
病院を出て、次の講演先の高校に向かう
三上さんの肩に秋の陽が踊っていた。

あれだけ反抗的だった少年が死に際
三上さんと出会って、誰かの役に立つ為に
生まれてきたことを知り、
病院のみなさんに感謝して死ぬことで
彼は約束を果たしたのだった。

下座に生きる それはもっとも尊い
人としての行き方。・・・

終り


バナースペース


甦る輝き